あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
(コロサイの信徒への手紙 3章12〜14節)
みなさん、おはようございます。本日は来る4月24日の日曜日が千葉英和高等学校の創立76周年目であることを記念した特別礼拝となります。新入生の皆さんには入学式の時に少しだけ創立当初のことをお話しましたし、在校生の皆さんには機会のあるときに話をしてきましたが、この毎年おこなわれる創立記念礼拝では、戦後まもなく創立された千葉英和高等学校の前身である聖書学園の創立当時の様子に想いを馳せながら、そこから現在まで続いている本校の教育の営みを辿り、今を生きる私たちに受け継がれているものを、皆とともに共有したいと思います。
学園の創立者である中田羽後先生は、現在の青山学院大学を卒業し、牧師として、また音楽の教師として活躍されました。また今私たちが手にしている『賛美歌21』の前に日本国内で広く使用され、今でも一部の教会では使われている『賛美歌第二編』という賛美歌集において沢山の歌詞を提供している作詞家でもあります。また年配の方であれば大抵知っている童謡の「おお牧場はみどり」の作詞家としても有名です。この中田羽後先生は、日本中の街が米国の絨毯爆撃によって一面焼け野原の廃墟となってしまった様子を眺めて、これから日本が再建されるためには国民に祈りと音楽が必要であるとして学校をつくることを思い立ちました。
そこにNHK(JOAK)初代ラジオアナウンサーであった大羽仙外(本名大羽儔)先生が加わり、資金集めや学校運営を担当し、GHQで通訳をしていた中田羽後先生の妻であった中田あさの取次によって現在自衛隊の基地がある千葉市若松町の陸軍航空隊下志津学校の跡地がGHQから与えられ、学園は創立されました。また戦地から引き上げてきたキリスト者によって学校の敷地内にはクリスチャン村が形成され、一時、国内のキリスト者が集う稀有な学校となる創立期となりました。
現在の千葉英和高等学校の前身となる聖書学園は中等部や高等部、短期大学部の3つからなり、元々は牧師を養成する神学校を設立するためにプロジェクトが始まりました。それが広く門戸を開いた学校としてスタートし、千葉県最初の高等学校として、また共学校となりました。現在、学園の運営に携わってくださっている卒業生は、元同窓会会長の5期生以降の人たちとなっていますが、今でも当時のことをあれこれ楽しそうにお話してくださっており、そのいずれもが大変興味深いお話です。
一昨年の創立記念礼拝では、本校の生徒・教職員に英語学習ブームが起こることとなったきっかけのエピソードを紹介しました。昨年は、本校が長く続けていた給食制度の始まりについてのお話をしました。今年は学校キャンプについてのお話をして、本日の聖句と共に、「真に平和な世界」を目指す学校法人聖書学園千葉英和高等学校の私たちの過去から未来へと続く営みと絆についてお話したいと思います。
さてここ数年は、コロナ禍であることから人混みをさけて自然の中での活動が増え、日本国内ではキャンプ・ブームが起きています。家族と過ごすファミリーキャンプや、仲間とのグループキャンプに加えて、「ゆるキャン」というアニメがヒットしたことから一人でキャンプするソロキャンプも増えているように思われます。本校で実施された学校でおこなうキャンプは、教育活動でのキャンプという枠組みで調べてみますと日本でも最初期におこなわれており、千葉県では本校が最初におこなっています。石黒先生が当時の資料から執筆された『創立70周年記念誌』にこの学校キャンプについて記したページがあり、そこには第1回夏期キャンプが1947(昭和22)年7月に、戦時中は大日本帝国陸軍の要塞であった千葉県富浦町大房岬(現在もキャンプ場としてあります)にて開かれたと記されています。
この夏期キャンプは、本校の校訓である三愛精神を「信仰」「奉仕」「勤労」という観点から身を持って本校生徒が経験するために実施されました。このキャンプでは、中等部と高等部の全生徒が縦割りグループで参加し、引率教員の中にはキャンプ支援のために長期に現地に滞在する人もいたようです。またキャンプ道具としてのテントと寝袋は、学校に残されていた軍隊用のものを使用していました。
朝夕には礼拝があり、賛美歌を歌い、祈り、聖書を開き、説教を聞く。食事の前には「日々の糧」を歌い、祈り、感謝と共に食事をいただいた。勉強の時間があり、作業があり、キャンプソングを歌い、日常から離れて自然の中で、仲間と共にその時を過ごしたのです。3代前の副校長であった金谷和子先生は本校の卒業生であり、当時を振り返り「キャンプソングを歌い、礼拝・勉強・作業と1日に決まったスケジュールをこなし、疲れもありましたが平和になった日々を大いに満喫したものです」と語っています。
この夏期キャンプは、1965(昭和40)年に長野県の蓼科高原に山荘を取得するまで場所を変えながら続けられ、その後も蓼科山荘にて1971(昭和46)年まで合計25年間続けられました。現在はコロナ禍により残念なことに中止となっていますが、2000年代に入り、4月におこなわれるようになった新入生宿泊研修は、仲間と共に自然の中での祈りと体験をおこなうべく始められましたが、これはかつておこなわれて来た夏期キャンプを受けてのものであります。
私が創立当初を知る卒業生の方々から聞いた夏期キャンプの話でもっとも興味深かったのは、生徒が縦割りグループであり、食事づくりは自分たちで作らなくてはならず、先生方は周囲で見守っていてくださるが手伝ってはくれないので、先輩方が上手に仕事を分担し指示を出し、また後輩たちがそれに答えて役割を行えないと、それこそご飯が食べられなかったというものです。まわりのグループは食事をしていても、自分たちのグループは上手にご飯ができなくて食べられなかったんだと笑いながら話してくれた卒業生の方もいました。戦後まもなく開かれたキャンプでは、食材も大変貴重なものでしたから、それらすべてに感謝し、余すことなく調理していただくことはとても大事なことだったんですよね。今なら先生方がご飯をわけてくれたりしそうですが、当時は本当に自分たちでなんとかしなくてはならなかったそうです。これは、一人の人間として自律した精神を養うためのルールであると思うのですが、それぞれが自らの役割をしっかりしなければならないということをそれこそ身にしみて理解することになったのでしょうね。
こうしたキャンプでの学びは、ある意味で世界の縮図としてのキャンプ活動をとおして、自分たちの存在を問い直すことにもつながっていると思います。この世界では、私たちは色んな役割を担っています。またそれぞれがそれぞれのやるべきことを行い、それが組み合わさっていくことで成り立っています。人は時に自分のことのみに固執すると対立を生み出したりもしますし、互いが感情的になったりもします。その究極の形が戦争なのだと思います。
最後に本日の聖句を皆で見ましょう。コロサイの信徒への手紙 の3章12節から14節には、「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」とあります。「真に平和な世界」を求める千葉英和高等学校の私たちは、神を愛し、人を愛し、土を愛す、三愛精神に基づき、自己を確立し、奉仕の精神を持ち他者と関わり、自然との共生を意識し、愛を学び、考え、実践し、私たちに与えられた命の意味を考えていきます。この考え方は、創立期から現在まで76年間続いてきた私たちの絆です。既に本校の卒業生は2万人を超えました。世界の人口からすればささやかな数かもしれません。しかしこの世界のあちこちに三愛精神を知る人たちがいます。そしてこれからも三愛精神を知る仲間は増え続けていくことでしょう。豊かな愛を知る人たちが増えることでこの世界が「真に平和な世界」となるその日まで、その日を信じ、忍耐強く、私たちは生きていきましょう。
祈ります。皆さん、祈りの姿勢をとってください。ご在天の父なる神様。学園の皆で集う新しい朝を与えていただき感謝します。本日は、ここに集う皆で創立期に想いを馳せ、そして私たちが「真に平和な世界」を求める過去から現在へとつながる絆を学びました。私たちがその日を実現するために、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を、これらすべてに加えて、愛を身に着けることができるよう、あなたのお導きをお与えください。この小さき祈り、イエス・キリストの御名をとおして御前に御捧げいたします。アーメン。
千葉英和高等学校
校長 大羽 聡