キリスト教 教育

   
 
 
 
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(コリントの信徒への手紙- 13章13節)
 
 
 
 
キリスト教に基づく人格教育
 千葉英和高等学校の教育の土台は聖書です。一人ひとりにかけがえのない存在としての価値が与えられていることを知り、神に愛されている者として他者との違いを喜んで受け入れ、それを尊重し、真に平和な世界の形成者となることを目指しています。
 
 教育理念(建学の精神・校訓等)についてはこちら 
 
礼拝
 毎週月曜日に学校礼拝の時間があります。
 チャペルにて讃美歌を歌い、聖書の朗読や説教に耳を傾け(傾聴)、自らを省みて(内省)新たな一週間をスタートする時です。
 礼拝は講師の方をお招きしての特別礼拝や、宗教系クラブ(聖歌合唱部・ハンドベル部・オルガン奏楽部・聖書研究部コイノニア)を中心に行われる賛美礼拝、キリスト降誕劇を中心としたクリスマス礼拝「英和のクリスマス」などもあります。
 
聖書の学び
 聖書は、世界のベストセラーで今なお多くの人に読まれ、影響を与え続けています。
 1年次と2年次に週2時間、聖書の授業があります。本校ならではの教科です。
 1年次には、「人間(自分)とは何ものなのか」を一緒に考えます。2年次には、「生きる」ということを探求しつつ、自分の進むべき道で何を最も大切にしなければならないかを求めながら聖書の思想に迫ります。
 一方的な講義形式ではなく、自ら考え、対話をし、研究発表を通して互いに学び合うときです。
 

今週の説教

今週の説教
フォーム
 
「今日、与えられたその命を」ペトロの手紙一4_10
2020-07-27
2020年7月27日 学校礼拝説教

「今日、与えられたその命を」

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
ペトロの手紙一4章10節

 本日の聖書箇所は本年度の年間主題聖句です。これは何かと言いますと、礼拝で毎回読まれる箇所であり、今大切にしていきたい言葉です。この短い箇所には二回「賜物」という言葉が用いられています。教会では時折耳にする言葉ですが、日常においてはあまり使わない言葉かもしれません。しかしながら、聖書はこういうわけです。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっている」。私たちに授けられた賜物とは何でしょうか。
 この賜物という言葉、噛み砕くならば「神様から授かった何らかの素敵なもの」と言えるでしょう。あなたに与えられた、少し間を空けて座っているクラスメイトや、私にも与えられた素敵なものがある。それは何かと聖書に問うなら、その第一は命です。さらに、もう一歩展開するなら「あなたがそこに居る」ということです。隣に座っている人の命も、今ここに居ない人々のそれも、もちろんあなたがそこに居るということも、全て神様から与えられたかけがえのない大切なものです。ただし、「そうだ、僕らは生きている。嬉しいもんだな」で終わらないのが本日の聖書箇所です。これを「生かして互いに仕えなさい」というのですから。つまりはこうです。今日、与えられたその命を自分のためだけではなく、誰かと生きるために生かしなさい。
 与えられた命を生かすとはどういうことでしょう。イエス・キリストにこれを尋ねるならば、神様を愛することと、人を愛することと答えることでしょう。最期の時が迫る、そのような時でも、彼は大切な弟子たちと平穏に食事をすることを選んだのですから。
 さて、あなたは今日、与えられたその命をどう生かしますか。

聖書科 K・O
 
「有難いこと」マタイによる福音書5_43-45
2020-07-13
2020年7月13日 学校礼拝説教
 
「有難いこと」
 
(神様)は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
マタイによる福音書5章43-45節
 
 本日の聖書箇所でイエスは「あなた達は敵を赦さなければならない。それは、神様は悪人にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからだ」と語っています。
 この言葉を聞き、「いや良くない。正しいことには良い報いが、悪いことには悪い報いが与えられるべきだ!即ち、因果応報であるべきだ。」と思う人もいるかもしれません。
しかし、イエスの言葉を聞いた人々は、「罪人」というレッテルを貼られている人たち、つまり、神の前で罪を犯したとされていた人たちでした。そのような彼らがイエスのこの言葉を聞いたとき、彼らはおそらく「悪人、そして、正しくない者」の側に自分をおいて、この言葉を聞いたのではないでしょうか。すなわち「神の前に立ったとき、何一つ誇ることが出来ないようなこの私を、神様は大切に思ってくれているのだ。あなたはあなたのままで、素晴らしい。神様は、他ならぬあなたを大切に思っている。」イエスの周りに居た人々は、イエスの言葉をこのような言葉として聞いたのではないでしょうか。
 日々太陽が昇り、時として雨が降る。それは、ごくごく普通の当たり前のことです。しかしイエスは、「あなたはあなたでいい」「欠点や欠陥を抱えているかもしれない」でもそんな「あなたはあなたでいい」という神様の愛を、「太陽が登り、雨が降る」という当たり前のことがらの中に見つけたのです。
 「当たり前」の対義語、反対語は「滅多にない」「なかなかない」という言葉です。そして、この「滅多にない」「なかなかない」という言葉から「ありがとう」という言葉が生まれました。「ありがとう」という言葉は「有難し」、すなわち「滅多にないこと」「当たり前ではない」ことを意味します。
 イエスという人は「太陽が昇り、雨が降る」というごくごく「当たり前」の事が、実は「有難い」ことなのだ、実は奇跡なのだという事に気がついた人だったのではないでしょうか。そして、この事に気がつくこと。それが「敵を愛する」という、私たちにとっては到底なしえないことがらをなしていく出発点なのではないでしょうか。
私たちが置かれている場所は、決して楽観できる場所ではない。特に医療に従事している人たち、この中にはご家族がそういう中に置かれている人もいるかもしれない。
 私たちが当たり前と思っていることは、実は当たり前なんかじゃないという気持ちを大切にしていきたい。英和高校に集う者は、そのような一人一人であって欲しいと切に願っています。
 
聖書科 T・N
 
 
「創立74周年を迎えて」コリントの信徒への手紙一13_13
2020-07-06
2020年7月6日 創立記念礼拝
「創立74周年を迎えて」
 
 
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙一 13章13節
 
 
 本日は、『創立74周年を迎えて』と題しまして普段の礼拝説教とはちょっと趣を変えて、千葉英和高等学校の創立当初のお話をさせていただきたいと思います。例年であれば、本校の創立記念日である4月24日に近い学校礼拝において全校生徒と全教職員が創立当初のことを覚えて祈り、また思いを馳せるのが常でありました。しかし今年はとてもそのようなことができる状況ではありませんでしたので、本日この場をお借りして、本学のことをいくつか皆さんに知って貰いたいと思います。これから3つのパートに分けてお話をしたいと思います。一つ目は創立当初の聖書学園について。二つ目は三愛精神のルーツについて。三つ目は「愛」について。これら3つは本校の成り立ちと現在の在り様を語る上で欠くことのできないものであると私は考えています。ではお話を始めたいと思います。
 
創立当初の聖書学園
 さて皆さん、この千葉英和高等学校は、いくつかの千葉県初という記録を持っています。石黒先生なども以前お話したことがあるので3年生(2年生)の皆さんは知っているかもしれません。沢山あるのですが創立期のことだけで見てみても、千葉県最初の「高等学校」であること。千葉県最初の「男女共学校」であること。千葉県最初の「週5日制度」であること。千葉県最初の「学校給食を導入した高等学校」であること。千葉県最初の「学校キャンプ」をしたこと等色々あります。実に様々な分野で千葉県内において進んだ教育を取り入れてきた学校であることが分かっていただけるかと思います。
 1946年4月24日、本校の前身である聖書学院が現在の千葉市若松町に開かれました。牧師であり国内の賛美歌等でも多大なる貢献をした音楽指導者でもあった中田羽後先生、もう一人は日本の最初期のNHKラジオアナウンサー大羽仙外として知られていた大羽仁の二人が協力して学校をつくることになりますが、実際の学校が打ち立てられるまでには実に多くの人々の協力がありました。当時日本を軍事占領していた進駐軍(GHQとも言われていますね)の中での協力者たち、また敗戦後、キリスト者たちによる基督兄弟団(学校の敷地内で共同生活をしていました)の方々がいました。
 また当初この学校はキリスト教を学ぶ学校として作られました。この時点ではまだ現在のような形ではありません。それは第二次世界大戦後の荒廃した様子を見たことによりクリスチャンであった両先生は信仰に基づき「神に祈り、聖書を学び、日々の生活を送る」ための学校を建てようとしたのです。実際、最初の名称は「聖書学院」といいます。これは牧師さんを養成する神学校としての名称です。それがその後、敷地内にあったカチコチの滑走路や周辺の土地を農地に変えるべく農業指導者やその門下生が協力し、ほとんど米粒のない草だらけの雑炊を食べながらも開墾が行われていったという記録が残されています。
 加えて現在、英和は県内でも古くから英語教育に取り組んできた学校として知られていますが、これも実は学校の創立期にそのルーツがあります。創立者の一人である中田羽後先生の奥さんであった中田朝子(あさ)先生(後の校長先生)はGHQで通訳なども行っていましたので、こうした英語を実践で用いる人物や、初期の学校にいた米国のナザレン教団の人間(今でいうと外国人教員でしょうか)も学園にいました。そして一つ英語を学ぶためのきっかけとなった面白いエピソードが残されています。ある日、学校の中の倉庫に1台の進駐軍の車が止められ、二人の米兵が倉庫内の物資を運び出そうとしていたのだそうです。それを見つけた大羽仁(皆からは学校の運営責任者であったことから総務先生と呼ばれ後に理事長となります)は、その二人に対して、「ここの施設と備品は、千葉県軍政部からの許可を得ているものであるので、持ち出しは認められないと詰め寄ったんだそうです。するとその米兵は銃を突きつけたんだそうです。一緒にいた豊田先生(後ろの三愛精神の壁掛けを書いた先生です)は見ていて大層びっくりしたと後に述べられていますが、この時、実際に銃を突きつけられた大羽仁先生は、自分たちは洗礼を受けた人間であり嘘をついていないことを英語でなんとか説明したようです。するとその二人は車で立ち去ったんだそうです。その日の夜の風呂の時間、昼のその出来事の話になったときに怖くなかったのかと問われた大羽仁は「銃を突きつけられたことは怖くなかったが、自分の拙い英語が通じるかどうかは心配であった」と述べています。なんとも豪胆な話なんですが、その後、学園内では英語を学ぼうという熱が高まり、中田あさ先生(皆からはミセスと呼ばれていました)の下に集まりいくつも英語を学ぶクラスができたそうです。今日英和高校の実践的な英語教育に力を入れる発端が、泥棒に入った米兵のおかげというのは何とも面白いなと思っています。
 
三愛精神のルーツ
 さてこうした創立期の話の中でも、現在の英和高校を語る上で「神を愛し、人を愛し、土を愛す」の三愛精神について触れない訳にはいきません。先々代の理事長である大羽弘道によって提案されたものですが、その考えのルーツをたどると聖書の言葉なんだろうという予想を皆さんはされると思います。実際はどうなんでしょうか。聖書には、神と人への愛について述べた箇所はありますが、土に関して直接的に述べているところは見出しづらいです。19世紀に活躍したデンマークの牧師であり教育者であったグルンドヴィにたどり着きます。大国に近接し、自分たちの住む土地を守れず、荒廃してしまった祖国を思って彼は「神を愛し、人を愛し、祖国を愛せよ」と述べたそうです。ちょっと最後の言葉が違いますよね。なんとかして自分たちの住む故郷を取り戻したいという思いがそこにはあると思います。この最後の言葉は、国土という言葉にかわりより大きな意味を持つようになります。それが日本に持ち込まれ、第二次世界大戦後の日本において更に大きな意味を含む「土を愛す」という表現に変えられました。この三愛精神は本校とともに少し後には北海道の酪農学園大学の系列学校でも校訓として採用されます。19世紀の大国ドイツとの争いにあったデンマークと、20世紀の米国との争いにあった日本はどこか似たものを感じます。
 
「愛」とは何か
 本日の聖句は、コリントの信徒への手紙一の13章13節を取り上げていただきました。この箇所は、私が兼ねてからこの学園の掲げる三愛精神にとっての中心になる聖句なのではと個人的に温めてきたものです。この13節を含む13章というのは、もしかしたら聖書の箇所の中でも最も有名な部分かもしれません。今日キリスト教形式の結婚式を行う方はほとんどがその式に際して、愛について書かれたこの箇所のお話が述べられていると思います。その有名な箇所の少し後ろに出てくるのが本日の聖句の箇所なのです。
 「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。」とあります。神を信じること。先を照らす希望を持つこと。そして愛を深め実践すること。この三つはどれも私たちが地に足をつけて、顔を前にむけて歩んでいくためには欠かすことのできない大切なことだと私は考えています。そして次の「その中で最も大いなるものは、愛である。」と続きます。最も大切なことは「愛」だといってます。しかしこの愛という言葉は、私たちにとって大変理解することが難しい言葉であると私は感じています。愛の対象は何でしょうか。またその愛の有り様はどうでしょうか。皆さんが施す愛の見返りはあるのでしょうか。
 私は個人的には愛は「相手の存在を認め敬意をもって、お互いを高め合うためのやり取りである」と考えています。またそのためには互いが認め合うことがまず必要になると考えています。
 よく愛と恋はどう違うの?という問いを持たれる方がいますが、大変興味深いテーマですよね。愛に絶対的な定義はありません。愛は皆さんがその生涯を通じて問い思考していくものなのです。大変大きなテーマでもありますし、人生の中でも是非問い続けていって欲しいテーマでもあります。機会を捉えて、周辺の人と自分なりに考える愛についての意見交換をしてみてほしいです。自分とは違う考えがあり、また似たところもある。こうした考えのやり取りの中で、徐々にご自身の中にある愛についての考えが深まっていってほしいと願います。そして考えながらも、愛についての考えに基づき実践していってもらいたいと思います。究極的にいって本校は、皆さんに愛について考えてもらい、将来、行動する人となってもらいたいと考える学校です。もちろん知識やスキルは生きていく上で必要だと思います。しかし、皆さんなりに人生をつらぬく柱があって欲しいと思います。時に人は迷います。しかしその時に愛に基づき行動する人であることを私は願います。
 
さいごに
 本日は、本校のルーツとなる事柄についていくつかお話させていただきました。今日という日にこのお話をする意味を最後に考えてみたいと思います。第二次世界大戦の後の荒廃した国内において、心の拠り所となるもの(本校ではそれが聖書です)の上にしっかりとたち、前を向いて進もうとした人たちが、次の世界の主役となる人を育てるための学び舎を作ろうと奮闘するお話でした。一面の焼け野原と極度の食糧難に絶望して悲嘆にくれ、足元を見つめて過ごすのも人生ですが、本校の先人のように自分のできることを持ち寄って前を向いて苦難の中を進むのもまた人生です。様々な生き方が存在すると思います。どう生きるかは皆さんに委ねられています。
 今世界で起きている出来事は、人類の経験したことのないような大規模なウイルス感染による未曾有のできごとであることは最早疑うものはありません。人類が幾度も引き起こした戦争によるものではなく、感染症という病気による混乱は、これまでの世界に対して人間の行動様式に対して「新しい生活様式」への意識改革と実践を求めています。本日のお話と現在の状況にはどこか似通ったところがあります。それまでの世界が変わり、新たな意識を求められるという点です。
 マスコミは大変だ大変だと毎日大騒ぎをしていますが、皆さんは、このようなときであるからこそ自分の中の自分と対話して、自分の方向性を進めていってもらいたいと思います。
 
校長 大羽 聡
 

入試での優遇制度について

入試での優遇制度について
 
牧師・教会推薦(高校入試)
 本校のキリスト教主義に基づく教育方針を深く理解し、それに貢献できるキリスト教信者、または求道者(洗礼を受けて
いないが定期的に教会に通っている者)の受験生は、特別の基準がありますので、募集要項の4ページをご覧のうえ、本校の宗務長(チャプレン)に直接連絡してください。
 
 
指定校推薦・キリスト教学校教育同盟校推薦(大学入試)
 年度によって多少変わりますが、昨年度の指定校の一部がスクールガイドに載っています。
 校内で選抜し、学校長が推薦します。キリスト教学校教育同盟校推薦はクリスチャンもしくは求道者であることが条件ですが、中には条件を課さない大学もあります。
 指定校推薦を利用できるのは総進文理コース・特進文理コース・英語科の生徒のみです。
 
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