キリスト教 教育

   
 
 
 
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(コリントの信徒への手紙- 13章13節)
 
 
 
 
キリスト教に基づく人格教育
 千葉英和高等学校の教育の土台は聖書です。一人ひとりにかけがえのない存在としての価値が与えられていることを知り、神に愛されている者として他者との違いを喜んで受け入れ、それを尊重し、真に平和な世界の形成者となることを目指しています。
 
 教育理念(建学の精神・校訓等)についてはこちら 
 
礼拝
 毎週月曜日に学校礼拝の時間があります。
 チャペルにて讃美歌を歌い、聖書の朗読や説教に耳を傾け(傾聴)、自らを省みて(内省)新たな一週間をスタートする時です。
 礼拝は講師の方をお招きしての特別礼拝や、宗教系クラブ(聖歌合唱部・ハンドベル部・オルガン奏楽部・聖書研究部コイノニア)を中心に行われる賛美礼拝、キリスト降誕劇を中心としたクリスマス礼拝「英和のクリスマス」などもあります。
 
聖書の学び
 聖書は、世界のベストセラーで今なお多くの人に読まれ、影響を与え続けています。
 1年次と2年次に週2時間、聖書の授業があります。本校ならではの教科です。
 1年次には、「人間(自分)とは何ものなのか」を一緒に考えます。2年次には、「生きる」ということを探求しつつ、自分の進むべき道で何を最も大切にしなければならないかを求めながら聖書の思想に迫ります。
 一方的な講義形式ではなく、自ら考え、対話をし、研究発表を通して互いに学び合うときです。
 

今週の説教

今週の説教
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「建学の精神と奉仕」 一コリ13_13
2020-08-18
2020年8月18日 始業礼拝説教
「建学の精神と奉仕」
 
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
(コリントの信徒への手紙一 13章13節)
 
 本日は「建学の精神と奉仕」と題しまして、7月の終業礼拝で話しました「本校の建学の精神と愛について」の続きをお話したいと思います。前回は「真に平和な世界」という建学の精神の中の言葉から「互いに認め合い支え合う」世界観について述べさせていただきましたが、この「互いに認め合い支え合う」という世界観において私達はどのように行動していけば良いのだろうか、というテーマで少しのお時間を頂戴して皆で考えてみたいと思います。
 真に平和な世界、言い換えれば互いに認め合い支え合う世界では、私たち一人ひとりは対等であり平等です。かつて人間社会を「万人の万人に対する闘争」と表した人物もいましたが、本質的に自由であるはずの私たちがそれぞれ勝手気ままに行動するとそれぞれの利害対立などからぶつかり合うことを避けることができません。それゆえに人類は、民主主義において自らの活動を制限するルールを定めました。これが現代の法律です。ただし大変残念なことには、この法律が世界各国で整備され、はや数百年が経過し、ここ100年では国際機関等で国家間の話し合いもできるようなっているにも関わらず、未だに人類は対立の歴史から脱却することができていません。
 このように人間の歴史は対立の歴史でもありますが、このように共生のための仕組みも互いの違いを認めた上でそれぞれが生きていく方法はあるはずですし、私達に与えられた知性や人類の叡智は、私達に争いではなく対話による解決の可能性をもたらします。
 ちょっと話が横道にそれますが、米国の小学校の先生でワールド・ピース・ゲームという授業をしている先生がいます。10歳の子どもたちが4つの国に別れて、自分たちの資源をスタート時点より増やすゲームをするのです。ただしこのゲームには先生から全体での勝利条件が付け加えられています。それは4つの国すべてがスタート時点より資源を増やすというものです。見方を変えれば人類に課せられた問題とも言えるようなこのプログラムに数週間に渡り子どもたちは熱心に取り組み、最終的にはほとんどの子どもたちがこのゲームをクリアするそうです。そしてこの先生は次のようにおっしゃっています。「このように子どもたちは人類の抱える問題を見事にクリアします。子どもたちは解決する力をもっているのです。ではなぜ大人は解決できないのでしょうね」と。この先生の一言が私にはとても刺さりました。
 小学生が気づいたように、互いに認め合い、共に生きていくイメージができたならば後は実行に移すだけですよね。ここで本校のいう「奉仕」がでてきます。上から目線で施しを与えるのではなく、自分のできることを持ち寄り互いに支え合う。これが本校の奉仕の考え方です。また本校はもう少しだけ踏み込んでこの奉仕について考えています。それは自分のできることがあるのであれば、同時に自分の苦手とすることもあるということ。そしてこの苦手である不得手であるというものを自ら受け入れ、そしてそれを他者に伝えられるようになってもらいたいと考えているのです。こうした他人より劣っている自分というものは、得てして隠したくなってしまうのが人情だと思います。恥ずかしいから等理由は色々だと思いますが、この部分を是非皆さんには考え直してもらいたいと思います。
 また少し話がそれますが、近年、大規模自然災害等が発生すると国内外からボランティアがその地域にやってきます。そのリーダーの人がテレビのインタビューで話していたことがとても印象に残っているのですが、それは、何をしてほしいかを伝えてもらえないと手伝いができない、というごくごく当たり前のことです。家を流されてしまったとか、その渦中にある人は呆然とし頭の中が真っ白になり何も考えられないのかもしれません。しかしそうした人を支える人たちは、困っていることがわからないと手伝いのしようがありません。
 自分と他者の関係においても実は同じことが言えるのではないでしょうか。聖書に書いてあるように、お互いに自らの賜物をもって仕え合いたいものです。
 
校長 大羽 聡
 
 
本校の建学の精神と愛について
2020-07-31
2020年7月31日 終業礼拝説教
 
本校の建学の精神と愛について
 
それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
コリントの信徒への手紙一13章13節
 
 さて本日のお話のタイトルは「本校の建学の精神と愛について」です。この「建学の精神」とは、千葉英和高等学校の教育の目的を表す言葉です。少し言い換えてみると、千葉英和高等学校が何のためにこの世界にあるのかを表しているものとも言えるかと思います。こうした考えをまとめたものが「建学の精神」と呼ばれるものなのですが、これは私立学校に特有なものです。公立学校は地域に人が増えたので学校が必要となり設置されるのに対して、私立学校は創立者が新しい教育を行いたいという想いから学校が建てられるのです。
 本校の「神を愛し人を愛し土を愛す」という三愛精神は校訓であり、建学の精神の中核となるものですが、その周りにある言葉を含んで、本校の教育が何を目指しているのかを皆さんにお話していきたいと思います。
 この建学の精神ですが、その成立は終戦直後の創立期にまで遡りますが、現在の形での建学の精神は2009年に改定されたものです(2010年4月施行)。元々はどのようなものであったのか。また何を変えたのか。そして何故変えたのか。実は初期の建学の精神は、第二次世界大戦の敗戦によって一面焼け野原と化した「国家」や「社会」の再建に役立つ人物を育成したいという思いが込められており、それ故に「真に平和な国家社会の形成者」という言葉が用いられていました。創立記念礼拝の時にもお話したように本校は千葉県初の高等学校であり共学校です。学校開設において当時の創立者たちの思いや政府の意向が入っていたのだと想います。また当時は中等部もあったので、高等部の建学の精神には三愛の精神の言葉は含まれていませんでした。中等部から短期大学部までを含めて、学校全体でそれぞれの学校が目指すべきものが考えられていたからこのように目的が分担されていたようです。しかし現在、千葉英和高等学校は高校単独学校です。歴史的な事情があるにせよ現在のある形と創立期の考え方を併せて改めて、本校の目指すものをまとめなおそうとしたのが2009年でした。ちょうどこの年、私は副校長になったことからこの改定の話し合いに深く関わっていました。
 その当時、私が考えていたことは、①創立期の諸先輩方の思いは残したい。②また現在の生徒の皆さんが置かれている現在の社会的状況を言葉に反映させたい、③そして本校が地域社会において果たすべき役割についてをまとめ上げたいというものでした。それ故、かつて中等部にあった三愛精神の言葉を含め、戦後60年以上が経過していた2009年において「国家・社会に役立つ人物」という考え方は時代の役割を終えたものとして、新たに本校が行ってきた国際教育や多様性を認める考え方をこの建学の精神に含んだのです。それが現在の「真に平和な世界の形成者として愛と奉仕に生きる有為な人物」という言葉になっています。
 皆さんは、この「真に平和な世界」ってどんな世界だと思いますか? 戦争がない世界でしょうか? 戦争がないとして、経済的な競争はどうなりますでしょうか? 人と人は対立しない世界でしょうか? いずれにせよ本校はこの「真に平和な世界」という言葉で表される世界を目指して学校を開いていますし、また教育の営み、言い換えれば諸活動はこの理想とする世界において本校の卒業生がその一員となるよう行われています。
 ちなみに私は個人的にはこの「真に平和な世界」という言葉を、「お互いが認め合い、支え合う」世界であると捉えています。またこの世界を作っていくためにも本校の三愛精神に貫かれている「愛」が必要なのだと想います。「愛」は一人では成立しません。自分がいて相手がいて成り立ちます。聖書には、「自らを愛すように、他の人を愛しなさい」とあります。ここのイメージがなかなか難しいと思うのですが、この「愛する」を別の言葉で言い換えてみると少しわかりやすくなってくるかもしれません。例えば「親しむ」とか「交流する」とか、「委ねる」とか「信じる」とか。実際にはこうしたいろいろな言葉が入るかと思います。いずれも成立すると思います。別の言い方をすると聖書の「愛」は実に豊かな言葉として用いられているのだと思います。みなさんも、自分なりにしっくりくる「愛」の意味のイメージを見つけてください。
 改めて、本校の現在の建学の精神は、三愛精神を通じて皆さんが人として豊かに成長し、皆さん自身がこの世界にいる理由を自分自身で気づき見つけ出して欲しい、そして本校の3つの愛を思考し実践することで、真に平和な世界、互いに認め合い、支え合う世界の一員として生き生きと人生の歩みを進んでいって欲しいと思っています。
 本当に私はこうした世界が実現されることを願わずにはいられません。
 
校長 大羽 聡
 
「今日、与えられたその命を」ペトロの手紙一4_10
2020-07-27
2020年7月27日 学校礼拝説教

「今日、与えられたその命を」

あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
ペトロの手紙一4章10節

 本日の聖書箇所は本年度の年間主題聖句です。これは何かと言いますと、礼拝で毎回読まれる箇所であり、今大切にしていきたい言葉です。この短い箇所には二回「賜物」という言葉が用いられています。教会では時折耳にする言葉ですが、日常においてはあまり使わない言葉かもしれません。しかしながら、聖書はこういうわけです。「あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっている」。私たちに授けられた賜物とは何でしょうか。
 この賜物という言葉、噛み砕くならば「神様から授かった何らかの素敵なもの」と言えるでしょう。あなたに与えられた、少し間を空けて座っているクラスメイトや、私にも与えられた素敵なものがある。それは何かと聖書に問うなら、その第一は命です。さらに、もう一歩展開するなら「あなたがそこに居る」ということです。隣に座っている人の命も、今ここに居ない人々のそれも、もちろんあなたがそこに居るということも、全て神様から与えられたかけがえのない大切なものです。ただし、「そうだ、僕らは生きている。嬉しいもんだな」で終わらないのが本日の聖書箇所です。これを「生かして互いに仕えなさい」というのですから。つまりはこうです。今日、与えられたその命を自分のためだけではなく、誰かと生きるために生かしなさい。
 与えられた命を生かすとはどういうことでしょう。イエス・キリストにこれを尋ねるならば、神様を愛することと、人を愛することと答えることでしょう。最期の時が迫る、そのような時でも、彼は大切な弟子たちと平穏に食事をすることを選んだのですから。
 さて、あなたは今日、与えられたその命をどう生かしますか。

聖書科 K・O
 
「有難いこと」マタイによる福音書5_43-45
2020-07-13
2020年7月13日 学校礼拝説教
 
「有難いこと」
 
(神様)は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。
マタイによる福音書5章43-45節
 
 本日の聖書箇所でイエスは「あなた達は敵を赦さなければならない。それは、神様は悪人にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからだ」と語っています。
 この言葉を聞き、「いや良くない。正しいことには良い報いが、悪いことには悪い報いが与えられるべきだ!即ち、因果応報であるべきだ。」と思う人もいるかもしれません。
しかし、イエスの言葉を聞いた人々は、「罪人」というレッテルを貼られている人たち、つまり、神の前で罪を犯したとされていた人たちでした。そのような彼らがイエスのこの言葉を聞いたとき、彼らはおそらく「悪人、そして、正しくない者」の側に自分をおいて、この言葉を聞いたのではないでしょうか。すなわち「神の前に立ったとき、何一つ誇ることが出来ないようなこの私を、神様は大切に思ってくれているのだ。あなたはあなたのままで、素晴らしい。神様は、他ならぬあなたを大切に思っている。」イエスの周りに居た人々は、イエスの言葉をこのような言葉として聞いたのではないでしょうか。
 日々太陽が昇り、時として雨が降る。それは、ごくごく普通の当たり前のことです。しかしイエスは、「あなたはあなたでいい」「欠点や欠陥を抱えているかもしれない」でもそんな「あなたはあなたでいい」という神様の愛を、「太陽が登り、雨が降る」という当たり前のことがらの中に見つけたのです。
 「当たり前」の対義語、反対語は「滅多にない」「なかなかない」という言葉です。そして、この「滅多にない」「なかなかない」という言葉から「ありがとう」という言葉が生まれました。「ありがとう」という言葉は「有難し」、すなわち「滅多にないこと」「当たり前ではない」ことを意味します。
 イエスという人は「太陽が昇り、雨が降る」というごくごく「当たり前」の事が、実は「有難い」ことなのだ、実は奇跡なのだという事に気がついた人だったのではないでしょうか。そして、この事に気がつくこと。それが「敵を愛する」という、私たちにとっては到底なしえないことがらをなしていく出発点なのではないでしょうか。
私たちが置かれている場所は、決して楽観できる場所ではない。特に医療に従事している人たち、この中にはご家族がそういう中に置かれている人もいるかもしれない。
 私たちが当たり前と思っていることは、実は当たり前なんかじゃないという気持ちを大切にしていきたい。英和高校に集う者は、そのような一人一人であって欲しいと切に願っています。
 
聖書科 T・N
 
 

入試での優遇制度について

入試での優遇制度について
 
牧師・教会推薦(高校入試)
 本校のキリスト教主義に基づく教育方針を深く理解し、それに貢献できるキリスト教信者、または求道者(洗礼を受けて
いないが定期的に教会に通っている者)の受験生は、特別の基準がありますので、募集要項の4ページをご覧のうえ、本校の宗務長(チャプレン)に直接連絡してください。
 
 
指定校推薦・キリスト教学校教育同盟校推薦(大学入試)
 年度によって多少変わりますが、昨年度の指定校の一部がスクールガイドに載っています。
 校内で選抜し、学校長が推薦します。キリスト教学校教育同盟校推薦はクリスチャンもしくは求道者であることが条件ですが、中には条件を課さない大学もあります。
 指定校推薦を利用できるのは総進文理コース・特進文理コース・英語科の生徒のみです。
 
<<学校法人 聖書学園 千葉英和高等学校>> 〒276-0028 千葉県八千代市村上709-1 TEL:047-484-5141 FAX:047-487-5466