2020年09月14日前期特別礼拝 証し
「共にいてくださる神様」
求めよ。さらば与えられん。
マタイ福音書7章7節
英和高等学校卒業生の春日万里子と申します。
この学校には当時演奏やソルフェージュを教えて頂いていた、現在でも御指導されていらっしゃいます相澤美歌先生がこの千葉英和高等学校の卒業生ということで、私は先生にあこがれてこの学校に入学しました。
当時は勉強している音楽や母の影響もあり、クリスチャンというものにとても興味を持ちつつもまだ教会には通っておらず、この千葉英和高等学校での礼拝が私にとってのはじめての礼拝でした。とても新鮮で高校生活での3年間、毎週礼拝に出られたことは、今の私にとってなくてはならない経験でした。
さて大学生になりとても忙しい毎日を送ることとなりました。
2年生になった時あたりから、演奏をするときに右手の指が思うように動かないなと感じるようになりました。最初は気のせいかな、練習不足かなと、更なる練習を重ねました。
ですが年々練習すればするほど右手に力が入らなくなり、手の専門のお医者さんに行っても腱鞘炎もなく、その後10年間全く原因がわかりませんでした。
それでもかえ指をしたりしながらなんとか演奏を続けていましたが、それはとても辛いものでした。毎日、明日指が動かなかったらどうしようという不安、なかなか相談できない不安、思うようなコンディションがつくれないまま迎える演奏会。気がついたら指だけでなく言葉もうまく出せないようになっていました。
なんとか地味な努力を続けながら大学院に行き、その年の1年間を留学しますが、ごまかしながら弾いていた指はますます力が入らなくなり、もう演奏は無理だな、帰国したら演奏をやめようと悲しい気持ちで地下鉄を歩いていると姉から一通のメールが届きました。
「この症状と似てない?」と送られてきた新聞の記事には、まさに私の症状そのものが書いてありました。
それは「ジストニア」といい物の動作を脳が忘れてしまうという病気でした。今ではよく知られた病気ですが、その頃は日本ではまだジストニアはあまり知られておらず、私のように苦しんでいた演奏家が沢山いたことを後になってから知りました。
帰国後ジストニアの専門のお医者さんに行き、脳が忘れてしまった部分を最初から取り戻すという訓練を何度も何度も繰り返すことによって、徐々に私の右手はもとのように動くようになってきました。
ある日バッハの作品を弾いている時、ふっと霧がはれるような、とても気持ちが軽くなるような、不思議な感覚に見舞われ、今までの苦しかったことや、辛く感じたことが全て許せるような、とてもふんわりした気持ちになりました。そしてなにより私自身も許されたような安心感でした。
その時私は神様の存在をとても近く感じました。私が苦しんだ10年間、いつもこうして近くで見守って下さったのだと感じました。
ほどなくしてバッハのマタイ受難曲をオーケストラで演奏する機会がありました。その時本日の聖書箇所であります「求めよ、さらば与えられん」が頭に浮かんできました。
私はこの病気で10年間苦しみましたが、そのお陰でこうして大切な神様に出会うことができました。マタイ受難曲の演奏会を終えた次の日に、私は洗礼を受けることを決心しました。何年もかかってしまいましたが、ようやく神様の子になれたことを嬉しく思っています。そしてそのきっかけを与えて下さった千葉英和高等学校での学校生活に深く感謝しております。
チェンバロ奏者 春日万里子
演奏
☆半音階的幻想曲とフーガ BWV903 ニ短調 (J.S.バッハ)☆
チェンバロ 春日万里子
春日万里子氏プロフィール
佐倉市出身。東京藝術大学音楽学部古楽科チェンバロ専攻卒業。同大学大学院古楽科修了。チェンバロを鈴木雅明氏、L.グリエルミ氏に師事。2010年、2012年にブレーシャ国際古楽音楽祭などに招聘される。またイタリア・クレモナの聖アガタ教会、サンティラーリオ・デンツァ(レミリア・ロアーミャ州)にて演奏、各地において活躍している。CDにバロック期のケルト音楽を中心とした『ケルティック・バロック〜歌い踊る古の鼓動』がリリースされている。
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☆オペラ《セルセ》より「樹木の陰で(オンブラ・マイ・フ)」(G.F.ヘンデル)☆
バリトン歌手 春日保人
春日保人氏プロフィール
熊本県出身。東京藝術大学声楽科卒業、同大学院古楽科修了。声楽を高橋大海、疋田生次郎、G.ピリウッチ、古楽声楽を野々下由香里、G.マレットに師事する。
モーツァルト《フィガロの結婚などバロック・オペラの分野でタイトルロールを演じ、バッハ《マタイ受難曲》など宗教作品の出演など国内外で活躍する。古楽アンサンブル「ソナール・カンタンド」を主宰。貴志康一、早坂文雄、ファリャやピアソラを収録したソロアルバム『ルーツ』をリリース。日本声楽アカデミー各会員。聖徳大学講師。
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