キリスト教 教育

   
 
 
 
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(コリントの信徒への手紙- 13章13節)
 
 
 
 
キリスト教に基づく人格教育
 千葉英和高等学校の教育の土台は聖書です。一人ひとりにかけがえのない存在としての価値が与えられていることを知り、神に愛されている者として他者との違いを喜んで受け入れ、それを尊重し、真に平和な世界の形成者となることを目指しています。
 
 教育理念(建学の精神・校訓等)についてはこちら 
 
礼拝
 毎週月曜日に学校礼拝の時間があります。
 チャペルにて讃美歌を歌い、聖書の朗読や説教に耳を傾け(傾聴)、自らを省みて(内省)新たな一週間をスタートする時です。
 礼拝は講師の方をお招きしての特別礼拝や、宗教系クラブ(聖歌合唱部・ハンドベル部・オルガン奏楽部・聖書研究部コイノニア)を中心に行われる賛美礼拝、キリスト降誕劇を中心としたクリスマス礼拝「英和のクリスマス」などもあります。
 
聖書の学び
 聖書は、世界のベストセラーで今なお多くの人に読まれ、影響を与え続けています。
 1年次と2年次に週2時間、聖書の授業があります。本校ならではの教科です。
 1年次には、「人間(自分)とは何ものなのか」を一緒に考えます。2年次には、「生きる」ということを探求しつつ、自分の進むべき道で何を最も大切にしなければならないかを求めながら聖書の思想に迫ります。
 一方的な講義形式ではなく、自ら考え、対話をし、研究発表を通して互いに学び合うときです。
 

今週の説教

今週の説教
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前期特別礼拝「共にいてくださる神様」マタイ福音書7章7節
2020-09-14
2020年09月14日前期特別礼拝 証し
 
「共にいてくださる神様」
 
求めよ。さらば与えられん。
マタイ福音書7章7節
 
 英和高等学校卒業生の春日万里子と申します。
 この学校には当時演奏やソルフェージュを教えて頂いていた、現在でも御指導されていらっしゃいます相澤美歌先生がこの千葉英和高等学校の卒業生ということで、私は先生にあこがれてこの学校に入学しました。
 当時は勉強している音楽や母の影響もあり、クリスチャンというものにとても興味を持ちつつもまだ教会には通っておらず、この千葉英和高等学校での礼拝が私にとってのはじめての礼拝でした。とても新鮮で高校生活での3年間、毎週礼拝に出られたことは、今の私にとってなくてはならない経験でした。
 さて大学生になりとても忙しい毎日を送ることとなりました。
 2年生になった時あたりから、演奏をするときに右手の指が思うように動かないなと感じるようになりました。最初は気のせいかな、練習不足かなと、更なる練習を重ねました。
 ですが年々練習すればするほど右手に力が入らなくなり、手の専門のお医者さんに行っても腱鞘炎もなく、その後10年間全く原因がわかりませんでした。
 それでもかえ指をしたりしながらなんとか演奏を続けていましたが、それはとても辛いものでした。毎日、明日指が動かなかったらどうしようという不安、なかなか相談できない不安、思うようなコンディションがつくれないまま迎える演奏会。気がついたら指だけでなく言葉もうまく出せないようになっていました。
 なんとか地味な努力を続けながら大学院に行き、その年の1年間を留学しますが、ごまかしながら弾いていた指はますます力が入らなくなり、もう演奏は無理だな、帰国したら演奏をやめようと悲しい気持ちで地下鉄を歩いていると姉から一通のメールが届きました。
 「この症状と似てない?」と送られてきた新聞の記事には、まさに私の症状そのものが書いてありました。
 それは「ジストニア」といい物の動作を脳が忘れてしまうという病気でした。今ではよく知られた病気ですが、その頃は日本ではまだジストニアはあまり知られておらず、私のように苦しんでいた演奏家が沢山いたことを後になってから知りました。
 帰国後ジストニアの専門のお医者さんに行き、脳が忘れてしまった部分を最初から取り戻すという訓練を何度も何度も繰り返すことによって、徐々に私の右手はもとのように動くようになってきました。
 ある日バッハの作品を弾いている時、ふっと霧がはれるような、とても気持ちが軽くなるような、不思議な感覚に見舞われ、今までの苦しかったことや、辛く感じたことが全て許せるような、とてもふんわりした気持ちになりました。そしてなにより私自身も許されたような安心感でした。
 その時私は神様の存在をとても近く感じました。私が苦しんだ10年間、いつもこうして近くで見守って下さったのだと感じました。
 
 ほどなくしてバッハのマタイ受難曲をオーケストラで演奏する機会がありました。その時本日の聖書箇所であります「求めよ、さらば与えられん」が頭に浮かんできました。
 私はこの病気で10年間苦しみましたが、そのお陰でこうして大切な神様に出会うことができました。マタイ受難曲の演奏会を終えた次の日に、私は洗礼を受けることを決心しました。何年もかかってしまいましたが、ようやく神様の子になれたことを嬉しく思っています。そしてそのきっかけを与えて下さった千葉英和高等学校での学校生活に深く感謝しております。
チェンバロ奏者 春日万里子
 
演奏
 
☆半音階的幻想曲とフーガ  BWV903  ニ短調 (J.S.バッハ)☆
チェンバロ 春日万里子
 
春日万里子氏プロフィール
佐倉市出身。東京藝術大学音楽学部古楽科チェンバロ専攻卒業。同大学大学院古楽科修了。チェンバロを鈴木雅明氏、L.グリエルミ氏に師事。2010年、2012年にブレーシャ国際古楽音楽祭などに招聘される。またイタリア・クレモナの聖アガタ教会、サンティラーリオ・デンツァ(レミリア・ロアーミャ州)にて演奏、各地において活躍している。CDにバロック期のケルト音楽を中心とした『ケルティック・バロック〜歌い踊る古の鼓動』がリリースされている。
 
☆オペラ《セルセ》より「樹木の陰で(オンブラ・マイ・フ)」(G.F.ヘンデル)☆
バリトン歌手 春日保人
 
春日保人氏プロフィール
熊本県出身。東京藝術大学声楽科卒業、同大学院古楽科修了。声楽を高橋大海、疋田生次郎、G.ピリウッチ、古楽声楽を野々下由香里、G.マレットに師事する。
モーツァルト《フィガロの結婚などバロック・オペラの分野でタイトルロールを演じ、バッハ《マタイ受難曲》など宗教作品の出演など国内外で活躍する。古楽アンサンブル「ソナール・カンタンド」を主宰。貴志康一、早坂文雄、ファリャやピアソラを収録したソロアルバム『ルーツ』をリリース。日本声楽アカデミー各会員。聖徳大学講師。
 
 
 
「仕える心」を広げよう
2020-09-07
2020年9月7日 学校礼拝説教
 
「『仕える心』を広げよう」
 
わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。おのおの善を行って隣人を喜ばせ、互いの向上に努めるべきです。
ローマの信徒への手紙15章1-2節
 
あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
ペトロの手紙一4章10節
 
1. 人生の重要な目的、それは他者の喜びのために生きること
 私たちは自分の人生の目的を探していく時に、一番自分が満足するものは何か、という視点を持つものです。しかし聖書からもう一つ大切な視点を学んでほしいと思います。それは他者を幸せにする、あるいは他者を喜ばせる、という視点です。実はその視点を持つことにより、皆さんの人生の目的をより明確にすることができるのです。
 ローマの信徒への手紙15章に書かれている「隣人」という言葉は、旧約聖書からイエスの言葉に至るまで愛を示すべき対象として何度も用いられている言葉です。その意味するところは単に距離的に近い人間関係だけではなく、私たちの人生の流れの中で接点を持った自分以外の存在のことでもあります。神様は神の愛を実践するべき人を皆さんの周りに置くのです。私たちが「生きている」ということを実感するため、目的をもって生きているということを実感するためなのです。他者の喜びのために生きるということを目的にし、それを目指す時に私たちは自分自身に与えられた人生の意味を必ず見出すことができることを覚えておきましょう。
 
2. 仕える心を大きくしよう!
 ペトロの手紙一において書かれている「仕える」という言葉は、ギリシャ語では「ディアコネオー」となっています。この言葉は「相手にサービスやメリットを与える」という意味です。当時奴隷たちに使われていた語ですが、聖書が書かれたローマ時代はいわゆる卑しい仕事をする者だけでなく、大きな家の主人に仕え、家庭教師等として教育する知識奴隷などがいました。また医療などは主にギリシャ人奴隷の仕事でした。あるいは頻繁に行われる宴会のために、おいしい料理を振る舞う奴隷もいました。
 つまり「ディアコネオー」とは仕える対象を喜ばせる、あるいは繁栄させるために能力すべてを注ぐ態度を意味しているのです。このような背景を考えると「その賜物を生かして…仕えなさい」という言葉は、非常に意味深いものになるのではないでしょうか。自分がすることすべて自分と関わった人を喜ばせるためにしなさい。相手のメリットになるように行動しなさい、というのです。皆さんには必ず「賜物」が授けられています。そしてその「賜物」あるいは「能力」は、他者を喜びに満たすために神様が与えているのです。私たちが「仕える心」を持つときに、神様からの能力、賜物というものがさらに注がれ大いに発揮されていくのです。
 私たちは自分のためだけに自分の能力、あるいは賜物や才能を用いていきたいと思うものです。しかし「仕える心」を持って他者の喜びのために自分の能力を用いる時に、自分では想像もしなかったような大きな輝きが必ず現れてくることを信じて欲しいのです。
 
英語科 S・W
 
『人がゴミのようだ』とは言わせない
2020-08-31
2020年8月31日 学校礼拝説教
 
「『人がゴミのようだ』とは言わせない」
 
不幸な者は誰か、嘆かわしい者は誰か/いさかいの絶えぬ者は誰か、愚痴を言う者は誰か/理由なく傷だらけになっているのは誰か/濁った目をしているのは誰か。
箴言23章29節
 
人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。
マタイによる福音書16章26節
 
 この箴言の言葉で戒められているのは、人の自分のことしか考えない姿であり、自分の家族や周囲の人々を顧みない姿でもあります。自分のことばかりを優先し、自分が良ければいいというのでは、いずれ身を滅ぼすし、結局自分を傷つけることにさえなってしまうのです。
 それは自分の人生やほかの誰かの人生にかかわることです。たとえ大きな財産を得ても、全世界を手に入れても、自分自身を傷つけ人を傷つけるのであれば、それは幸せだと言えるでしょうか。自分という存在、そして自分以外の存在をも軽んじることになってしまうのです。
 マタイによる福音書の方には「命」という言葉が出てきます。この命は単に命というだけでなく、人生でありアイデンティティ、人の存在そのものでもあります。人の人生や存在を軽んじるということは、人の命を軽んじるということでもあります。
 自分の命も人の命も同じ一つの命です。その命を私たちは大切にしなければなりません。自分の命もほかの人の命も大事にしなければなりません。
 誰かによって自分の命が軽んじられ傷つけられてしまうことが起こるかもしれません。そのことで希望が持てなくなってしまうことがあるかもしれません。
 けれども忘れないでほしいのは、命が軽んじられることが悪いことであり、軽んじられたあなたが悪いわけではないのです。
 私たちの命は誰かによって使われる命ではなく、自分のために、ほかの誰かのために生きる命です。
 誰かのために生きることは、強く生きる、強くなれる理由にもなります。誰かのために強くなれるなら、自分だけのために生きていくのではなく、ほかの誰かのためにも生きていっても良いとは思いませんか?
 自分の命も人の命も大事にして生きていってほしいと願います。
 
聖書科 S・A
 
 
「惜しみなく向き合う」箴言3_27−28
2020-08-24
2020年08月24日 学校礼拝説教
 
「惜しみなく向き合う」
 
施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら。
出直してくれ、明日あげよう、と友に言うな/あなたが今持っているなら。
箴言3章27−28節
 
 ムーミンの小説の中に、ニンニというキャラクターが登場するお話があります。ニンニは一緒に暮らしていたおばさんから毎日いじめられた結果、心を閉ざし、孤独な透明人間になってしまった女の子です。私たちの世界では、どんなに孤独であっても実際に体が透けてしまうということはないかもしれません。しかしもしかしたら、助けを必要としている人ほど透明人間のように人目につきづらく、気づかれにくい存在になってしまっているかもしれません。
 今日の聖書の言葉は、私たちに具体的な方法で人を愛することを求めています。今、相手にできることを惜しみなくすること。明日に持ち越さずに、今ある力を誰かに使うということ。それこそが、神が私たちに求めている人を愛する生き方である…では、その施すべき相手とは、私たちの力を必要としている友とは、誰のことなのでしょうか。私たちはそのような相手に、果たして本当に気づけているのでしょうか。
 病気、差別、貧困、いじめ、テロ、災害、暮らしの変化…この世界には、様々な理由で生きづらさを抱えている人がいます。しかし、ときに私たちは自分や家族、仲間さえ幸せならそれでいい、他の人は知らない、と驚くほど冷たく他者を切り捨ててしまうことがあるのではないでしょうか。「どうせ自分一人では、世界の問題は何も解決できない」と都合よく諦め、一人ひとりの見えない痛みや苦しみを想像する力を私たちが失っているとき、助けを必要としているその人は、透明人間にされてしまっているのかもしれません。
 人との関わりが制限され、以前よりも少し孤独に慣れてしまっているような気さえする今だからこそ、目の前の相手と一人の人として向き合うことの大切さを思い出したいと思います。相手の苦しみに対して知ったかぶりをせず、自分の限界を決めつけずに、目を凝らし、耳を澄まして真っ直ぐに相手を知ろうとするところから、人を愛することを始めたいと願います。
 
聖書科 J・A
 
 

入試での優遇制度について

入試での優遇制度について
 
牧師・教会推薦(高校入試)
 本校のキリスト教主義に基づく教育方針を深く理解し、それに貢献できるキリスト教信者、または求道者(洗礼を受けて
いないが定期的に教会に通っている者)の受験生は、特別の基準がありますので、募集要項の4ページをご覧のうえ、本校の宗務長(チャプレン)に直接連絡してください。
 
 
指定校推薦・キリスト教学校教育同盟校推薦(大学入試)
 年度によって多少変わりますが、昨年度の指定校の一部がスクールガイドに載っています。
 校内で選抜し、学校長が推薦します。キリスト教学校教育同盟校推薦はクリスチャンもしくは求道者であることが条件ですが、中には条件を課さない大学もあります。
 指定校推薦を利用できるのは総進文理コース・特進文理コース・英語科の生徒のみです。
 
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