キリスト教 教育

   
 
 
 
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(コリントの信徒への手紙- 13章13節)
 
 
 
 
キリスト教に基づく人格教育
 千葉英和高等学校の教育の土台は聖書です。一人ひとりにかけがえのない存在としての価値が与えられていることを知り、神に愛されている者として他者との違いを喜んで受け入れ、それを尊重し、真に平和な世界の形成者となることを目指しています。
 
 教育理念(建学の精神・校訓等)についてはこちら 
 
礼拝
 毎週月曜日に学校礼拝の時間があります。
 チャペルにて讃美歌を歌い、聖書の朗読や説教に耳を傾け(傾聴)、自らを省みて(内省)新たな一週間をスタートする時です。
 礼拝は講師の方をお招きしての特別礼拝や、宗教系クラブ(聖歌合唱部・ハンドベル部・オルガン奏楽部・聖書研究部コイノニア)を中心に行われる賛美礼拝、キリスト降誕劇を中心としたクリスマス礼拝「英和のクリスマス」などもあります。
 
聖書の学び
 聖書は、世界のベストセラーで今なお多くの人に読まれ、影響を与え続けています。
 1年次と2年次に週2時間、聖書の授業があります。本校ならではの教科です。
 1年次には、「人間(自分)とは何ものなのか」を一緒に考えます。2年次には、「生きる」ということを探求しつつ、自分の進むべき道で何を最も大切にしなければならないかを求めながら聖書の思想に迫ります。
 一方的な講義形式ではなく、自ら考え、対話をし、研究発表を通して互いに学び合うときです。
 

今週の説教

今週の説教
フォーム
 
「土の器に」創世記2:7、コリント二4:6-7(守屋彰夫)
2020-10-19
2020年10月19日 秋季特別礼拝説教
 
「土の器に」
 
 主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。
創世記2章7節
 
 「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことが明らかになるために。
コリントの信徒への手紙二4章6~7節
 
 新型コロナウイルス禍は皆さんの生活にどのような影響がある、あるいは、あったでしょうか。命の危険にさらされた方はいなかったでしょうか。全員が無事にこの危機を乗り切っていただきたいと願っています。
 私は現在、長野県飯田市で田舎牧師の生活を送っています。地方にいますと東京、千葉、神奈川、埼玉はかなりの感染者が出て危険な地域と映っていました。長野県知事はある時、県境を越えるなという要請を出しました。やむを得ない事情があって私はその時期に山梨、神奈川の県境を越えて東京に来たことがあります。中央道で諏訪まで北上し、そこから南下して甲府を通って東京に入りました。諏訪まで1時間ほど高速を走るのですが、その時は高速道路独り占めのような感じでほとんど車に出会いませんでした。自分だけが県知事の要請を無視しているのかと思うと、運転しているうちにだんだん罪悪感が湧いてきました。このような非日常的なことが起こったことに驚きましたが、今は高速道路も普通に戻り、普通に渋滞も起こっています。
 新型コロナウイルスの感染状況はまだ終息はしていません。あるいは、簡単には終息しないとも言われています。そうすると私たちはこのウイルスとずっと共存していかなければならないのでしょうか。私たちはだんだんとこのウイルスとの付き合い方を学んできました。医学の進歩のお陰でしょう。
 しかし新しい病気との付き合い方が分からない時代は実に被害が大きく、人口の3割、4割が死亡したという時代がありました。私の先輩牧師の奥様がダニエル・デフォー『ペスト』(平井正穂訳)(デフォーは『ロビンソン・クルーソー』の著者)の翻訳者のお嬢様(と言っても私より年上ですが)だったこともあり、再版ができたから読むようにというお勧めがあり読み始めました。実に現代の感染状況の最初期とよく似ており、人々はどのように対処すべきか分からないまま悲観的になったり楽観的になったり戸惑う様子が詳細に描かれており一気に読み終わりました。
 1664年9月以降にペストの感染が爆発的に広がり始めて、デフォーはロンドンに留まるべきか、疎開すべきか苦慮します。彼の兄が頻(しき)りに疎開を勧めましたが、彼は聖書に問いながら熟慮します。詩編91篇2-10節を読み進めて、最終的にロンドンに残留する決心をします。この箇所を新共同訳(一部訂正)で読みます。
 
  主に申し上げよ/「わたしの避けどころ、砦/わたしの神、依り頼む方」と。
  神はあなたを救い出してくださる/仕掛けられた罠から、破滅的な疫病から
  神は羽をもってあなたを覆い/翼の下にかばってくださる。神のまことは大盾、小盾。
  夜、脅かすものをも/昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない。
  暗黒の中を行く疫病も/真昼に襲う病魔
  あなたの傍らに一千の人/あなたの右に一万の人が倒れるときすら/あなたを襲うことはない。        
  あなたの目が、それを眺めるのみ。神に逆らう者の受ける報いを見ているのみ。
  あなたは主を避けどころとし/いと高き神を宿るところとした。
  あなたには災難もふりかかることがなく/天幕には疫病も触れることがない。
 
 デフォーは更に詩編31篇16節「私の時は、あなたの御手の中にあります。」という聖句によって、「神は、健康の時にも、災厄の時にも、ひとしく私を守ってくださることを私は信じた。たとえ神が私を救うことをよしてし給わないとしても、私は依然として神のみ手の中にあることに変わりはなかった。み意志(むね)のままになし給え―私は心からそう思った。」と信仰的決断を記しています。
 デフォーの決断を信仰深いとみるか、あるいは、狂信的と見るか、見解は分かれるかと思います。デフォーは周囲の人々がばたばたと死んでいく様子を観察しながら事態に即した現実的で賢明な対処をします。私の友人が医者なので、どうしたらよいか尋ねたところ、彼は「賢く対処しろ」と分かったような分からないような答えをくれました。要するに持っている知識をフルに活用してできるだけのことをしなさいということだったのですが、これがデフォーの生き方と重なり、私にはとても有益な助言でした。デフォーは全てを神に委ねたのですが、果たして生き延びることが出来たのでしょうか。その結果は、この作品の最後にあります。
 「ロンドン疫癘(えきれい)に病みたり、時に1665年、鬼籍に入る者その十万、されど、われ生きながらえてあり。
デフォーの勝利宣言であり、神への万感の感謝の言葉です。デフォーは彼に疎開を勧め、実際に疎開したお兄さんの行方には触れずに書を閉じています。ちょっと謎を残した終わり方です。
    デフォーの時代のペストは現代の新型コロナウイルスとは比べものにならないくらいに強力で罹ったらほとんど確実に死ぬというものでした。現在、私たちはそれほどの脅威を感じていないかもしれません。それでもいつか近いうちに「されど、われ生きながらえてあり」という宣言を私たちもしたいと願っています。殊に三年生の皆さんは高校生活最後の年ですから将来のことなど重要な決断を控えているかと思います。皆さんお一人お一人が最善の道を選んで人生の歩みを更に進めて行ってほしいと願っています。
 今日読みました創世記2章では、創世記1章の神学的な整然とした記述とは異なり、大変素朴な人間の誕生物語です。人間の体の素材は土の塵(ごく僅か)ですが、神の息が通って生きる存在となったー命が与えられたということです。ですから、神の息が出て行くと、人は死に、神の息の通っていない死体となります。最後に人間の死体は元の土に帰ることになります。
    二つ目の聖書「コリントの信徒への手紙二」は使徒パウロが書いた手紙です。パウロは先に読んだ創世記2章に基づいて、私たちの体は「土の器」だと語っています。私たちは非常に壊れやすい存在だと理解していることが分かります。壊れやすい「土の器」の私たちの存在を脅かすものが私たちの周囲に如何に多いことでしょう。現在の状況の中にいますと皆さんの存在を脅かすたくさんの危険因子を数え上げることができるでしょう。様々な病気、事故、自然災害、人災、その他諸々のものが思い浮かぶことと思います。パウロはしかし、壊れやすい「土の器」の弱さに悲観しません。6節後半には「わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」とあり、パウロは私たちのうちに「神の息」が通って命が与えられており、それだけではなく「神の栄光を悟る光」が一人一人に与えられていることを語ります。信仰への導きの光が一人一人に既に備えられているのです。今日は読みませんでしたが、もう少し先の5章でパウロは、私たちの土の器を「地上の住みかである幕屋」と表現しています。「幕屋」はエジプトを脱出したイスラエルの民がシナイの荒野を放浪した時に仮住まいした仮小屋あるいはテントのことを指していますから、私たちの地上の生活は、ある意味で仮住まいなのです。私たちは今「土の器」に仮住まいをしています。あるいは同居しています。しかし私たちの死が訪れた時、私たちは「土の器」の仮住まいから「天にある永遠の住みか」へと移っていって、そこで神様と同居することになる約束が与えられています。今は神様と別居して地上の生活を送っていまが、この地上の生活をしっかりと生き切った後に「天にある永遠の住みか」で神様との同居が約束されています。
 キリスト教の生命観は、地上の生で人生が完結するのではなく、今私たちに与えられている命―人生―は地上の死で終わらないと教えています。神様と共に地上の生を歩むのと同じように、地上の生活が終わった後は、天上で神様と共に歩む死後の生があるのです。「天にある永遠の住みか」で神様と一緒に生きる永遠の人生を見つめながら、与えられている地上の命を大切に生き切る人生を皆さんが送るようにと願っています。
 
講師 守屋彰夫
 
 

 
守屋彰夫先生プロフィール
 
1946年生まれ。専攻、旧約聖書学、比較セム語学。東京教育大学大学院文学研究科博士課程(古典文献学専攻)修了。ヒブル・ユニオン・カレッジ大学院でPh.D.取得。東京女子大学名誉教授。現在、日本基督教団飯田吾妻町教会牧師。
 

 
 
「自分の心を守るには」箴言4:23、フィリピ4:6-7
2020-10-12
2020年10月12日 学校礼拝説教
 
「自分の心を守るには」
 
何を守るよりも、自分の心を守れ。/そこに命の源がある。
箴言4章23節
どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
フィリピの信徒への手紙4章6~7節
 
 先日、高校時代に書いた作文が家の本棚から出てきました。内容は要約すると、このようなものでした。「筋肉痛になったことによって、日々のさりげない動作が筋肉にいかに支えられているかを実感した。よく考えてみると私たちの日常生活は、筋肉だけでなく色々な人たちの見えない支えによって成り立っている、ありがたいものなのかもしれない。」
 私たちのこれまでの日常は今年、大きく変わりました。きっと誰もが大切な何かを諦めたり失ったりして大なり小なり傷つきながら、ここまで過ごしてきたのではないかと思います。筋肉痛の痛みによってはじめて、筋肉のはたらきのありがたみがわかるように、日常が奪われてはじめて、これまでの日々のありがたみを痛感したという人も多かったのではないでしょうか。行きたかったところに行けなかった。やりたかったことができなかった。大切な人がいなくなってしまった…そんな苦しさや悲しさは言うまでもなく、多くの人にとって筋肉痛よりも深刻です。筋肉痛は、基本的には治ります。しかし今年失われたものの中には、決して元通りにはならないものもある。なぜこんなにも悲しいことが起こるのかと、その理由や意味をどんなに考えても、納得のいく答えなんてひとつも見つからない…私たちは生きていると時々そのような、自分ではどうしようもない悲しみや苦しさと直面することがあると思います。では、それらとどう向き合い生きていったらいいのでしょうか。
 聖書はいいます。「自分一人で思い煩ってばかりいないで、神に全てを打ち明けなさい。」
 例えば、心から信頼できる誰かにこっそり自分の秘密を打ち明けるときのように。本当は誰にも言えないようなダサい、醜い、恥ずかしい心のうちまで、神には正直にさらけ出してもいいということです。そしてそれが、大切なあなたの心を守ることにつながるのだと聖書は教えてくれています。
 だからこそ、ときには「神さま、なんで?なんとかしてよ!たすけてよ!」といった文句や怒りでさえも、神には素直に打ち明けていいよといってくれているのではないでしょうか。嬉しいときも悲しいときも、いつも一緒にいてくれる神に今日も見守られながら、自分の大切な心を守る生き方を自ら選んでいけたらと願います。
 
聖書科 J・A
 
 
「いのちについて」ルカ15_1-7
2020-10-05
2020年10月5日 学校礼拝説教
 
「いのちについて」
 
あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいたとして、一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言うであろう。
ルカによる福音書15章1-7節
 
聖書の授業において命とは何かという問いがあります。そのような問いを発すると「命というのは大切なものである」という返答が多く返ってまいります。しかし、さらに一歩踏み込んでなぜ大切なのかと問うと、あなたは何と答えますか。命がないと何もできないという方もいるかと思いますが、では、命の大切さとは何かをすること、何かができることだけでしょうか。そうであるならば、もし何かができない、あるいは求められることに応えられないのであれば、その価値はどうなるのでしょうか。本日の主題は命について。その大切さを聖書に問います。
さて、見失った羊のたとえをご存知の方もいるでしょう。あなたはこの羊飼いの行動をどう思いますか。優しく見えますか。それとも、自身の財産を守るのに必死に見えますでしょうか。もしも、後者が彼の動機であるなら、羊飼いの行動は理に適ったものとは言えません。一匹以上の損失の可能性が考えられるためです。
では、羊飼いは何故その羊を探しに行ったのか。一言で言うなら、その羊のことを愛しているためです。もし、その羊が欠けてしまったら、同じ羊と出会うことはできない。この羊飼いは、その羊にしかない大切さに気づいているのです。できる、できないで測るならば、迷い出た羊の価値は迷わなかった羊よりも劣るかもしれません。しかし、この羊飼いはそのような視点ではなく、羊そのものの大切さを見つめています。
さて、この話から命とは何かと考えますと、それは愛を引き起こすものです。愛とは様々な関係を結び止めるものです。そして、我々はその結びつきの中に生きています。この例え話の最後、羊飼いは「見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください」と言います。命とは何かを聖書に問うなら、それは神様の喜びです。何ができるか、できないかを差し置いて、あなたがそこにいるということを、何よりも大きな喜びとします。そして、それに気づくのであれば、そこに欠けて良いものなどありません。
 
聖書科 K・O
 
 
「今日与えられている賜物を」マタイ25_31-40
2020-09-28
2020年9月28日 学校礼拝説教
 
「今日与えられている賜物を」
 
はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。
マタイによる福音書 25:31-40
 
 皆さんの中には「あなたにしか出来ないことをして下さい。あなたにだけ与えられている賜物がちゃんとあるんです。その賜物を使って下さい」なんて言われたら困ってしまう人もいるのではないでしょうか。得意な事がある人なら良いのです。例えば音楽が得意だったり、勉強がすごく出来たり。でも中には「私って、勉強だってそんなに出来るわけではないし、ましてや運動なんて上手にできないし、自分にしかできないことなんてないなあ」と思ってしまう人もいるのではないでしょうか。
 しかし、私の中学時代のある先輩は、自分が先輩であるという彼に与えられた地位、言い換えれば、彼に与えられている力を使って、困っていた私を助けてくれました。他の先輩達は、先輩であるという力を使って私をいじめていた中、とても勇気のいることだったと思います。
 皆さんににしか出来ないこと。それは、クラスの困っている人を助けることかもしれない。部活の後輩を助けることかも知れない。あるいは、疲れている担任の先生に「ありがとう」と伝えることかもしれません。
 先日、とても嬉しいことがありました。それは、前期の大掃除の時間です。私の担当はグループワーク棟の階段掃除なのですが、大掃除ということで、雑巾がけをすることにしました。2枚の雑巾を用意したのですが、残念ながらそのうちの一枚はものすごく汚かったのです。水で濡らしても全然きれいにならないほどに汚れてしまっていました。私は、目の前に居た男子生徒に2枚を渡して「雑巾を濡らして、二人で掃除をして下さい」と頼みました。すると、その生徒は2枚とも丁寧にぬらしてくれて、じっと雑巾を見た後、きれいな方を友人に渡して、汚い方を自分で使い始めたのです。とても小さな事かもしれません。でも、彼はあの日与えられていた彼の力を、他者のために使ってくれたのです。
 イエスは言います。「はっきり、言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれた事なのである。」
 今日、あなたに与えられている賜物を、ぜひ他者のために、良き働きのために使って下さい。
 
聖書科 T・N
 
 

入試での優遇制度について

入試での優遇制度について
 
牧師・教会推薦(高校入試)
 本校のキリスト教主義に基づく教育方針を深く理解し、それに貢献できるキリスト教信者、または求道者(洗礼を受けて
いないが定期的に教会に通っている者)の受験生は、特別の基準がありますので、募集要項の4ページをご覧のうえ、本校の宗務長(チャプレン)に直接連絡してください。
 
 
指定校推薦・キリスト教学校教育同盟校推薦(大学入試)
 年度によって多少変わりますが、昨年度の指定校の一部がスクールガイドに載っています。
 校内で選抜し、学校長が推薦します。キリスト教学校教育同盟校推薦はクリスチャンもしくは求道者であることが条件ですが、中には条件を課さない大学もあります。
 指定校推薦を利用できるのは総進文理コース・特進文理コース・英語科の生徒のみです。
 
<<学校法人 聖書学園 千葉英和高等学校>> 〒276-0028 千葉県八千代市村上709-1 TEL:047-484-5141 FAX:047-487-5466