2020年11月2日 学校礼拝説教
「『正しさ』を正しく用いる」
ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。
ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。
ルカによる福音書16章10節
人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
ルカによる福音書6章37節
1. 小さな正しさを積み重ねる決断をする。
ルカ16章はイエス・キリストの有名な言葉であるが、「小さな事に忠実」とは「神様の前で小さな正しさを続けること」ともいえる。神様に真っすぐの心を持ち続ける決断をし、神様の前に小さな正しさを積み重ね続ける一人一人であって欲しい。私たちが小さな正しさを日常で実行し続ける時に、人生を左右する大きな正しさの決断が出来てくるのである。人生の試験は、期日を定めてやってくるわけではないからだ。
私が先日小テストで採点間違いしてしまった時に、たとえ点数が下がっても申告してきた生徒がいた。すばらしいことではないだろうか! 無視してもいいような小さな正しさだけれども、それを実行することにより「大きな事にも忠実」になれる。大きな正しさの選択のときに、正しさを実行できる。
数年前ATMでお金をおろした時に、目の前で札束を忘れた人がいた。さてどうするか。知らせるか、横領するか!? 当然、私は忘れて行った紳士に知らせたわけだけれど、同じような状況で横領して逮捕された記事を何度か見たことがある。その記事を見た時に、突然やってくる究極の「正しさの選択」に対する態度はいつ養われるのだろう、と思ったのである。そう、それは日常の小さな正しさの選択によって養われるのである。
私たちの人生の選択肢、あるいは人生のテストは時としてこのようにしてやってくる。英語の問題では、どちらの語が正しいか4択で選べばよい。それは私たちの知識で選ぶ。悪いことすると神様が見ているよ! という話をしているのではない。私たちの人生のテストは予告なくやってくる。そして、その時に皆さんの心が試されていくのである。そこまで積み上げた小さな正しさが試される瞬間が誰にでもやってくる。自分の人生が自分の手から離れていってしまうようなチョイスをしないために、人生のテストを私たちの心、そして心の中の知恵で選ぶのだ。
2. 正しさを他者の剣にしてはいけない。
そして、「正しさ」ということについて私たちがもっとも知っておかなければいけないこと。それは他者を切り刻むために「正しさ」を用いてはいけない、ということである。
人を裁くという行為を他者に対して行い続けるなら、段々と「自分は正しい」という傲慢さが心を支配してしまう。それは「許せない」という思いを自分の心に生み出す。そしてそれがもっと大きくなると、恨みや怒りという間違ったエネルギーになっていく。ネットの書き込みなどは匿名性があるため、人々の感情が出やすいものである。酷い事件があると、すぐに「加害者を死刑にしろ!」「生かしておくな」というような書き込みを平気でするのである。
ルカ6章37節は私の座右の銘でもある。私たちは時々、いとも簡単に他者を裁き、人を罪に定めてしまう。どんなことがあっても「裁かない」。私はよくこのことを言うけれど、とても大切なことである。この原則をまずしっかりと自分のものにして欲しい。
人を指さして責める時、3本は自分を向いているではないか。人を責める3倍自分の心をチェックするべきなのである! イエス・キリストは「正しさ」で人を罪に定めるくらいなら、「赦す」ことを選ぶ人になることを教えている。私たちが他者を赦すことを選ぶ時、自らが他者に実は赦されている存在であり、また神にも赦され、愛されていることが分かるものなのである。
英語科 S・W