キリスト教 教育

   
 
 
 
「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
(コリントの信徒への手紙- 13章13節)
 
 
 
 
キリスト教に基づく人格教育
 千葉英和高等学校の教育の土台は聖書です。一人ひとりにかけがえのない存在としての価値が与えられていることを知り、神に愛されている者として他者との違いを喜んで受け入れ、それを尊重し、真に平和な世界の形成者となることを目指しています。
 
 教育理念(建学の精神・校訓等)についてはこちら 
 
礼拝
 毎週月曜日に学校礼拝の時間があります。
 チャペルにて讃美歌を歌い、聖書の朗読や説教に耳を傾け(傾聴)、自らを省みて(内省)新たな一週間をスタートする時です。
 礼拝は講師の方をお招きしての特別礼拝や、宗教系クラブ(聖歌合唱部・ハンドベル部・オルガン奏楽部・聖書研究部コイノニア)を中心に行われる賛美礼拝、キリスト降誕劇を中心としたクリスマス礼拝「英和のクリスマス」などもあります。
 
聖書の学び
 聖書は、世界のベストセラーで今なお多くの人に読まれ、影響を与え続けています。
 1年次と2年次に週2時間、聖書の授業があります。本校ならではの教科です。
 1年次には、「人間(自分)とは何ものなのか」を一緒に考えます。2年次には、「生きる」ということを探求しつつ、自分の進むべき道で何を最も大切にしなければならないかを求めながら聖書の思想に迫ります。
 一方的な講義形式ではなく、自ら考え、対話をし、研究発表を通して互いに学び合うときです。
 

今週の説教

今週の説教
フォーム
 
「光の戦士」ヨハネ1_1-5
2020-12-21
2020年12月21日 学校礼拝説教
 
「光の戦士」
 
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。
ヨハネによる福音書1章1-5節
 
 クリスマスは単なるお祭りごとではありません。イエス・キリストのための礼拝の日であり、イエスの誕生を祝うときです。それに加えて私たちは、この日がただお祝いをして楽しむ日ではないということを知らなければなりません。
 イエス・キリストが生まれた当時、ユダヤの人々は苦しみの中にありました。自分たちの国が征服されローマ帝国に支配されていました。そして、社会においては貧困や格差、差別などの苦しみもありました。
 その苦しみの中にあった人たちにとって、イエスはまさに暗闇の中を照らす光でした。病や偏見、差別、貧しさ、その他様々な事情により苦しんでいる人々の所に行き、彼らが決して一人ではないこと、神から見放されているわけではないことを示すのです。むしろ神はその苦しみを嘆き、人を愛し寄り添ってくだっていることを示すのです。苦しんでいる人々に、神が共にいてくださるという希望の光を灯すのです。社会の、そして人の中にある暗闇と戦って行くのです。
 世の中にはこのことを単なる気休めだと言う人もいることでしょう。しかし、本当に苦しみの中にある人々、孤独の中にある人々にとって、誰かが共にいてくれるということ、愛されていることを示すということはとても大きなことではないでしょうか。暗闇の中にあっても光が示されるということは、ただそれだけでも大きな励ましであり、生きていくための希望となるのです。
 キリスト教というものは本来、イエスと同じように暗闇の中で光を灯すもの、闇に対して戦っていくものだと思います。
 クリスマスはこの世で苦しみ悩んでいる人たちのことを考えるときでもあります。苦しんでいる人たちに希望の光を示すのがクリスマスでもあるのです。
 クリスマスの物語は、今苦しんでいるあなたのところに神が救い主を送ったのだと伝えます。苦しんでいるあなたを神が忘れているわけではない。ちゃんと苦しんでいるあなたも愛されている、神が共にいてくれるのだと示すのです。
 クリスマスは、それぞれに苦しみを抱える私たち一人ひとりに希望が与えられる日です。
 
聖書科 S・A
 
 
「素直になればいいのに」マタイ1_18-25
2020-12-14
2020年12月14日 学校礼拝説教
 
「素直になればいいのに」
 
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
マタイによる福音書1:18-25
 
 クリスマスとはどのようなメッセージを持っているのか、考えたことはありますか。街の様子や音楽、さまざまなイベントによって楽しさや嬉しさを感じた経験があるかと思いますが、その背景にあるものは何かと問われると首を傾げる方もいるのではないでしょうか。本日はこれをマタイによる福音書の「神は我々と共ににおられる」という言葉から学ぼう思います。
 「神は我々と共におられる」。この言葉を神様の一人称で柔らかく言い換えるなら「私はあなたたちと一緒にいるよ」となります。それではそのようにいう場合、背景にあるものは何でしょうか。第一に、我々が時に誰かと一緒に居たいと思う場合と同様、愛を想定することが可能でありましょう。第二に、これにはあなたが居なければ何も始まりません。
 これらを関連づけて考えるなら、「神は我々と共におられる」とは神様からの愛の告白と言えましょう。私はあなたと共にいるという時に、何よりも大きなものはあなたがそこに居るということの喜びであります。そこに愛が欠けることがあるでしょうか。更にもう一段言い換えるなら、どれだけ大きな悲しみや後悔、あるいは自分自身が見えなかったり分からないように思えたとしても、あなたの存在は心から喜ばしいものであるということです。そして何より「あなたはそこに居ていいんだよ」ということでもあります。誰もが比べることのできないほど大切で、君が居てくれてよかったという感謝に似た気持ちが「神は我々と共におられる」という言葉に込められております。
 さて、クリスマス。新しい命の誕生を中心としたこの出来事に、どうして嬉しさや喜ばしさを感じるのだろうか。それはその根底に宿る神様の愛がさまざまな形で継承されてきたためかもしれません。あと11日でクリスマスがやってきます。どうかその間、ほんの少しでも愛を求める心の声に耳を傾けることができますように。
聖書科 K・O
 
 
「希望のともしび」ルカ2_1-7
2020-12-07
2020年12月7日 Advent礼拝説教
 
「希望のともしび」
 
ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
ルカによる福音書2章1-7節
 
 現在放送中のテレビドラマ「姉ちゃんの恋人」の第1話で、ある人がこんなセリフを口にしました。
「クリスマスって幸せの象徴、みたいなところあって、キラキラしてて。で、もちろん、それでいいんですけど…なかなかあんまりキラキラばっかりしてると1人だったり寂しかったり、何かつらい思いとか持ってると目を背けたくなるっていうか、そういうのもあって。なんかそういう人も『ちょっと触れたいな』とか『見に来たいな』とか思えるような…そういうクリスマスだったらいいなって。」
 この登場人物の言うように、クリスマスに向け派手ににぎわう社会の中で、いつにも増してさみしさを感じたり、なんだか居場所がないような、思わず目を背けたくなるような気持ちになったりするというのはとてもよくわかる気がします。もしかしたら、たとえクリスマスに一人ぼっちではなかったとしても、表向きは人に囲まれ楽しそうに見えている人でも、孤独や寂しさというものと無関係で生きている人なんて一人もいないのかもしれません。
 聖書に載っている一番はじめのクリスマス、つまりイエス・キリストの誕生のお話によれば、イエスは世の騒がしさの中に埋もれ、居場所のないなかでひっそりと生まれました。それはもしかしたら、私たちが孤独で居場所がないと感じるときも、「“そこに”神が一緒にいる」ということがわかるようになるためだったのかもしれません。私たちが日々ひっそりと抱えている寂しさやつらさ、孤独の闇に寄り添い、優しく照らす。「あなたは一人ではない」と冷えた心をあたためる…そんな心のともしびのような存在であるイエス・キリストが生まれる日、クリスマス。
 多くの教会では、そんなクリスマスが来るのを待ちながら、約一か月前から毎週1本ずつろうそくに火をともします。英和でも、今日からチャペルに大きなろうそくが置かれました。実は、このろうそくには1本目から順番に、「希望」「平和」「喜び」そして「愛」という意味があるのだそうです。1本目の「希望」のろうそくに火がともった今日、どうか今年、私たち一人ひとりがどこにいても、どんな立場におかれていても、クリスマスの希望で心をあたためることができるようにと願いたいと思います。私たちを決して一人にさせない神の、孤独より強い、愛。それを教えてくれる赤ちゃんイエスの生まれる日をいましばらく心待ちにしながら、一日一日を過ごしていきたいと思います。
聖書科 J・A
 
 
「愛を受け流す」(JOCS 森田真実子)
2020-11-30
2020年11月30日 Stewardship礼拝説教
 
「愛を受け流す」
 
『お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』
マタイ25章35節~40節
 
 JOCSは、すべての人々が健康で暮らせる世界をめざし、アジア・アフリカの国々で活動しています。主な活動は、医療従事者の派遣、現地の人材育成のための奨学金支援です。
 タンザニアで活動している助産師の雨宮さんと、インドネシアの医師、フリッツさんのことを紹介します。
 雨宮さんは、タンザニアのタボラ州というところに派遣され、妊婦健診や5歳未満の子の健診などを行っています。雨宮さんが出会ったザイナちゃんは、重度の栄養失調の治療途中、肺炎となり、7歳で短い生涯を閉じました。雨宮さんは、栄養失調の予防・改善のためのセミナー、産後の授乳栄養指導の強化、など、派遣先で新たな取り組みをはじめました。
 フリッツさんは、JOCSからの奨学金を受け、医師になる夢をかなえました。彼の働く田舎の病院には、毎日、たくさんの患者さんが来ます。ときに彼は、道の悪い山奥の地域へ、診療道具を車いっぱいに積んで出かけることもあります。インドネシアで大きな地震と津波があったとき、フリッツさんは被災地で傷ついた人を治療するために、リーダーとして活躍しました。
 雨宮さんや、フリッツさんが地域の人々のために仕える原動力となっているのは、イエス・キリストの愛です。一方で、彼らの働きを支える日本の多くの方々がいます。千葉英和高等学校の皆さんも、そのメンバーの一員です。
 愛を持ってささげられた献金が、雨宮さんのタンザニアに派遣を、またフリッツさんが医者になるのを助けました。彼らは賜物と技術を活かし、それぞれ地域の人々の健康のために活動しています。この、受け流された愛による一つひとつの行いを、イエス様は喜んでいらっしゃいます。
 神様の願いは、私たちに注がれた愛を、私たちのなかに留めておくことではなく、それを他の人にも受け流していくことです。
 時間や技術、賜物、お金など、ぜひあなたが神様から与えられているものを用いて、愛を受け流していってください。
 
日本キリスト教海外医療協力会 / JOCS 森田真実子
 
 

入試での優遇制度について

入試での優遇制度について
 
牧師・教会推薦(高校入試)
 本校のキリスト教主義に基づく教育方針を深く理解し、それに貢献できるキリスト教信者、または求道者(洗礼を受けて
いないが定期的に教会に通っている者)の受験生は、特別の基準がありますので、募集要項の4ページをご覧のうえ、本校の宗務長(チャプレン)に直接連絡してください。
 
 
指定校推薦・キリスト教学校教育同盟校推薦(大学入試)
 年度によって多少変わりますが、昨年度の指定校の一部がスクールガイドに載っています。
 校内で選抜し、学校長が推薦します。キリスト教学校教育同盟校推薦はクリスチャンもしくは求道者であることが条件ですが、中には条件を課さない大学もあります。
 指定校推薦を利用できるのは総進文理コース・特進文理コース・英語科の生徒のみです。
 
<<学校法人 聖書学園 千葉英和高等学校>> 〒276-0028 千葉県八千代市村上709-1 TEL:047-484-5141 FAX:047-487-5466