2021年2月1日学校礼拝説教
「励ましを自分の文化にする」
それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。
マタイ7章12節
神は、あらゆる苦難に際してわたしたちを慰めてくださるので、わたしたちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。
コリントの信徒への手紙二1章4節
皆さんは何を人生の「文化」として取り入れていくべきだろうか? 文化とはもともとラテン語で「耕す」という意味の言葉から来た。私たちの生活・人生をよりよくするためにもつ共通認識である。今日皆さんに自分のものとしてほしい文化は、「励ます」という行動である。他者に力を与え、励ますということも、皆さんの人生を豊かにする一つのポイントなのである。自分にとっても他者にとっても有意義なこの文化を英和高校で自分のものとしてほしい。そのために皆さんに覚えて欲しいことは、自らの資源を他者のために用いる、ということである。
施すべき相手に善行を拒むな/あなたの手にその力があるなら(箴言3:27)
この『箴言』は多くの知恵を私たちに与えてくれる書物である。別の訳の聖書では、「あなたの手に善をなす力があるなら、これをなすべき人になすことを差し控えてはいけない」となっている。
「教会」はギリシャ語でエクレーシア「呼び集められた者たち」という。この千葉英和高校についても私は同じように考えている。つまり神様が呼び集めた一人一人だ、ということである。皆さんは色々なプロセスを経て千葉英和高校にやってきた。喜んで来た人もいれば、そうでない人もいただろう。しかし神様は一人一人を呼び出して、そして出会わせて、将来にわたる計画を実現しようとしておられる。だからまず皆さんはこの場所に集められ、そして出会い、関わり合っていることをぜひ喜んで欲しい。
そして私たちの手は、基本的に良いことをするため、人生を豊かにするためにある。それは皆さんでもお分かりだと思う。泥棒をするために、あるいは人を殴るために皆さんの手を用いてよいわけはない。私たちの手をまずよいことのために用いることを目指してほしい。そして同時に皆さんの力とよい行動を必要としている人が、皆さんの周りには必ずいるのだということをこの聖書の箇所は教えている。皆さんの力とよい行いは、自分を豊かにするためだけではなく、あなたを必要としている人のためのものでもある。
1. 励ましの鉄則 : 自分がして欲しいことを相手にする!
マタイ7:12はイエス・キリストが述べた有名な言葉で、欧米ではGolden rule、つまり黄金律と言われているものである。とてもシンプルであるが私たちが人生の土台にし、人生の文化とする上でとても力強い法則ではないだろうか。「励まし」という行為はまさに、この黄金律に基づいて行われるべき行為なのである。しかし「励まし」ということは実際難しい場合がある。それは皆さんも感じたことがあるだろう。
よく言われることは、「がんばって!」という言葉は励ましにはならない、ということである。確かに自分なりにベストを尽くしてうまくいかなくて落ち込んでいるときに「がんばれー」と言われても励まされないどころか、もっとやれーと聞こえてしまう、ということなのかもしれない。
しかし少し考えてみると、励ましというものは言葉でなされるものではなく、相手とのかかわりによってなされるものなのである。励ましというものはいつも相手に寄り添い、相手のして欲しいことを知ろうとするところから始まる。まさにイエスが述べた黄金律が土台になければいけないのである。
新約聖書はギリシャ語で書かれているが「励ます」という言葉はパラカレオという。「その人のそばにいる」という意味がもともとの意味である。「慰める」とも訳される。つまり励ましとはその人のそばいて、その人に寄り添い、その心の状態に注意を払う、ということがとても重要なのである。その時に本当にその人に必要な言葉、必要な手助けが分かるのである。
2. 励ましを受け入れる者になろう
「あなたの手に善をなす力があるなら、これをなすべき人になすことを差し控えてはいけない」という最初の話に戻り、皆さんに最後に一つお勧めをしておきたい。ある人はここまで聞いて人のために励ます人、寄り添う人にはなれない! と思っている人もいるかもしれない。
しかしそう思っている皆さんに一つアドバイスをしたい。大切な心の持ち方がある。それは相手の励ましや慰めを受け入れる人になって欲しいということである。私たちがつらい思いをした時、私たちは心を閉ざしてしまう。しかし皆さんのことを思っている人は必ず存在する。神様はそのような人を必ずそばに置いている。そのような人を、そしてそのような人の言葉を受け入れられる人になってほしい。励ましを文化にすることにおいて、励ますことも大事であるが励まされることを受け入れる文化を自分の中に持つこともとても重要なのである。
先程述べたパラカレオ「励まし」という言葉は、聖書の中に記されている神様の姿としても書かれている。どこかで皆さんも聞いたことがあるかもしれない「聖霊なる神」という言葉は、実は先程のパラカレオの名詞形パラクレーシスという。
つまり神様は私たちから遠く離れているのではない、いやむしろ私たちのことを全て知り、私たちに寄り添い、愛を持って慰め、励ます方なのだという強烈なメッセージがそこにある。そして大切なことはその寄り添っている方の励ましと慰めを受け入れる者になってほしいという聖書のメッセージがそこにあるということである。
みなさんはこれから試練を経験するかもしれないし、悲しい経験もするかもしれない。しかし皆さんのそばには愛をもって慰める神がいるのだという聖書のメッセージを忘れないでほしい。そして慰めと励ましを与える神の存在を受け入れる心を持ってほしいのである。その時に神様が遣わした「あなたを励ます人」の存在に気付くことができるのである。
英語科 S・W